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水島博巳 社会保険労務士・行政書士事務所の所長ブログです。
2014-10-31 (金) | 編集 |
最高裁判決。
妊娠を理由にした降格は、男女雇用機会均等法に違反するとの判断をしました。
「本人自身の意思に基づく」か「業務上の必要性について特段の事情がある場合」
以外は違法で無効との判断です。
前者の意思は認められないので、後者の事情の存否について高裁で審理をやり直すように命じるものです。

日本を支える企業の大多数は中小企業です。
決して潤沢ではない労働力。
ひとりの労働者にかかる仕事の責任も範囲も大きい。
そのようななかで、経営を合理的に継続させるためには、経営者は様々な苦渋の決断をしなければなりません。
ぎりぎりの労働力。
ぎりぎりの人件費。
そもそもの職場を守る。
企業の存在を守る。
「業務上の必要性について特段の事情がある場合」の判断は、慎重にしなければなりません。
極端な弱者保護的な視点だけに偏らず『全体最適』を見る必要があります。

一方で少子高齢化の対策。
「出生率の向上」を図るため、育児休業制度の法整備が進められました。
また、子育て支援として、行政は待機児童の解消を進めています。
しかしながら、キャリアの継続を担保する労働の流動化は、まだまだ欧米先進国に比べて低い状況です。
働く人にとって、男女を問わずキャリアの継続は重要な課題です。
出産や子育て期間に休業できる労働環境に比しても劣らない重要な課題です。
「3年間だっこし放題」
どうでしょうか?
優秀な職業人に受け入れられるでしょうか?
技術は日進月歩。社会の変化のスピードは極めて早くなっています。

高い職務能力やスキルを持ち、効率的に、高い付加価値や労働生産性を社会に提供できる人材。
女性には、そのように光る人材が多くいます。
特に地域に根付いた人材である女性には、そのような人材が隠れています。
そのような人材が3年もの長期間、キャリアの断絶があった場合、その本人だけでなく社会にとって損失です。

「業務上の必要性」の判断。
企業側のやむを得ない苦渋の選択と本人のキャリアの継続。
一企業で責任を負うべき問題ではないと思います。
旧態依然とした労働慣行からの脱却。
既得権の主張ばかりがまかり通るようでは、成長はありません。
社会全体で変革を受け入れなければなりません。









2014-10-03 (金) | 編集 |
東海道新幹線が開業して50年になります。
開業間もない子供の頃、ビュッフェと称する食堂車でハンバーグを食べた記憶があります。
小学校の高学年、大阪万博のときも新幹線に乗りました。
中学そして高校の頃、天地真理の追っかけで大阪梅田コマ劇場へ行ったときも新幹線です。

時がたち、銀行員時代。
伊丹支店長として大阪に単身赴任をしていた頃、東京へ戻るたびに新幹線を使いました。
ご存知の通り、伊丹には大阪空港があり、飛行機の便も決して悪くはありません。
伊丹空港で朝食を食べたことも何度もありました。
でも、東京との往復は必ず新幹線を使いました。

そして今、私の事務所は「新横浜」です。
大阪や神戸への出張は勿論、遠くは博多。近くは東京や品川まででも新幹線を使っています。

馴染みのお店に足が向かいます。
そこには言い切れぬ安心感があるからでしょう。
いつもの場所。いつもの味。いつもの顔。
50年間もの間、無事故で運行してきた信頼でしょう。
開業当時の運転手さんや駅員さんは、当然リタイヤされています。
でも、いつもの安全があります。
脈々と受け継いでこられた技術や信用。

一般的に企業の寿命は30年といわれています。
しかし、一方で日本には100年企業が沢山あります。
そこには生き残るための絶え間なき過酷な努力があるのと同時に、それ以上に「文化」を育んだ証と言えると思います。
経営者も従業員も「労働」から「仕事」、そして「文化」へという意識の高揚があったのでしょう。
仕事に対する心意気。
そこには「権利と義務」だけでは図り切れない「文化」があったのでしょう。

新幹線50周年。
そこには日本の企業経営のあるべき姿を見ることができます。











2014-08-11 (月) | 編集 |
企業の不祥事対応。
上場企業であれば、プレス発表や記者会見。
ちょっと懐かしい記憶では「山一證券」の経営破たん。
当時の社長が泣きながら「社員は悪くない、悪いのは自分・・・」との画像を思い起こします。
上場企業でなくても同様。
隣にいる母親の耳打ちの通りに釈明していた難波の老舗料亭の社長。
土下座をして謝る焼肉チエーン店の社長。
釈明やお詫びの質やその後の企業の存続如何を問わずトップがその姿を晒しています。

朝日新聞の「慰安婦」問題の誤報道釈明記事。
30年以上も放置どころか、繰り返し報道を続けてきています。
そのことで、日本国民が受けた不利益は計り知れません。
食品メーカーや高級レストランの産地偽造問題。
30年間どころか3年も放置していたら、しかも偽造ではないことを繰り返し宣伝していたら、どうでしょうか?
悪くすれば企業破綻に陥ります。

朝日新聞は日本を代表する新聞です。
かって大学入試に社説の引用も多いと聞いたことがあります。
にもかかわらず、社長の釈明もお詫びもなく、まるで他人事。
如何なもんでしょうか?
同じような意見を昨日の「報道2001」で橋下大阪市長や自民党議員が発信していました。
また、朝日新聞の誤報道を「政局」に利用し続けた野党の言い訳も支離滅裂でした。
企業の不祥事対応として如何なものでしょう。
大新聞社の驕りを感じます。

言論の自由、報道の自由は憲法で認められた国民の貴重な権利です。
その権利を守るためには、義務を果たさなければなりません。
自ら積極的に義務を果たさないと、貴重な自由が制約される道を歩み始める可能性もあるでしょう。


自由は与えられるものではなく、義務を履行したうえで、自ら作りあげるものです。
終戦記念日を前にして、自由の重みを今一度考えたいと思います。







2014-07-08 (火) | 編集 |
銀行支店長時代
融資審査担当部署と相容れない議論がありました。
ある新規の融資案件。
本部の決裁を必要とする融資案件。
本部の審査担当部署は、その融資案件の採算性や社会性などビジネスの基本的な審査を行います。
最も重点的にチェックを行うことは、返済能力と担保(保全)についてです。
融資案件のベースとなる事業が思うとおりに進まず、返済不能になった場合はどうするのか?
銀行(金融業)としては、当然にフォーカスすべきポイントです。

一方で欠落してしまう視点。
それは機会損失の考え方です。
融資審査担当部署と相容れない議論が起きるところです。
ある意味、職務分担からすれば当然かもしれません。
その融資案件を採択しないことにより失ってしまう将来的に受けることが可能であった利益。
融資した資金が回収できないリスク。企業が破綻してしまうリスク。
そのような「回避すべきリスク」については、相当な熱量をかけてチェックして対策を講じます。
一方で、機会損失については、なかなかその水準までには至りません。

企業経営においても同様なことが、多く経験されていると思います。
デフレ下のリストラや経費削減は、多くの企業で順調に進みました。
一方でどうでしょうか?
新規事業への進出。
人事制度の革新。等々。
「変化する」「チャレンジする」「創造する」ことについては、なかなか前進しません。
これも機会損失でしょう。
もちろん「出来ることから」「確実に」「変化を受け入れ」「改革に取組む」経営者の方もいらっしゃいます。
そのような企業は確実に収益力を高めています。
機会損失を最小限に抑えることを実践されている結果でしょう。

変化や革新に対して、人は消極的になります。
いわゆる「現状維持のバイアス」
さらには「既得権の乱用」につながります。
ブレーキとアクセル。
まずアクセルを踏まないと自動車は動き出しません。
そもそも早く目的地に着くために自動車に乗ることを忘れていませんか。
ブレーキの性能ばかりに目が行ってませんか。
ブレーキを踏むのは自分であることを忘れていませんか。
国政における「憲法解釈」や「労働法令の改革」にも同じような現象が現れています。

企業の存在意義、企業活動の意義を、もう一度考え直して「元気に一歩を踏みだす」意欲を持ちたいと思います。





2014-06-20 (金) | 編集 |
東京都議会。
女性議員への野次。

良識ある民間企業の会議の場で、同じようなことが起こったら・・・
野次の主は、当然に懲戒処分を受けます。
その処分は、問答無用。
懲戒解雇までに至らなくとも、降格や役職剥奪は必至でしょう。
そこには、良識ある企業自治が存在します。

都議会は、より良識ある自治が求められて当然です。
野次の主の周囲にいて、もし庇う議員がいたならば連座同罪でしょう。
犯人隠匿。もっと踏み込めば共同正犯か幇助も成り立ちます。

多用な生き方、働き方が求められています。
女性の社会進出。いわゆるM字カーブの解消。
出産や育児への支援。キャリアの支援。
社会の変化のスピードは益々加速しています。
「人間社会において唯一確実なことは、変化である。」
「自ら変革できない組織は明日の変化に生き残ることはできない。」
(ドラッカー)

民間企業は、変革を怠れば必ず破綻に向かいます。
都議会は、破綻しないとの驕りがあるのでしょう。
国家であっても、破綻に至ることがあることは、歴史が証明しています。
東京都議会の良識ある自治を望みます。
政局にせず、淡々と変革されることを望みます。