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水島博巳 社会保険労務士・行政書士事務所の所長ブログです。
2012-10-02 (火) | 編集 |
10月を迎えました。

4月1日と並んで、企業であれば定期異動が多い時期です。
日経新聞の人事欄にも、多くの企業の異動が載せられていました。

人生には「節目」が多くあります。
人類学的に言えば「通過儀礼」でしょうか。
誕生から就学、卒業、結婚、出産、子育て、定年、あの世への旅立ち。

私達は子供の頃から「節目」を肌で感じ、目標にしたり我慢のリミットにしてきました。
小学校の頃から馴染んだ「1学期・2学期・3学期」
長い「夏休み」を楽しみにしていました。
お年玉がもらえる「お正月」を楽しみにしていました。
学年が変わるとき、クラス替えがありました。
子供心に密かな思いを寄せる子と同じクラスや同じ班になることを願ったことはありませんか。
そして卒業。

中学、高校、大学そして社会人。
馬の合わない奴、いじめる奴から逃避するタイミングだったかもしれません。
受験や就職活動。
1年・3年程度のサイクルで「節目」を活かして、変化してきました。
成長してきまひた。
人生の「ストレッチ」です。
企業人になっても異動が大きな「節目」になってきました。
次の異動で・・・次のポストで・・・
多くの人と出会い、多くの経験をして自分の「キャリア」を造ります。

先日、私の前職である銀行の大先輩から、貴重な「人生」のお話をお伺いすることが出来ました。
まるでプライベート版「私の履歴書」です。
その大先輩は御年88歳だそうです。
本当にお洒落な方で、年齢を感じさせません。
織部グリーンのストライプシャツが本当にお似合いです。
終戦時には高射砲部隊の中隊長でしたが、大陸に向かう輸送船に部隊ごと「寝坊」のために乗り遅れ、結果として戦死を免れたそうです。
終戦後は慶應の経済をご卒業になり、銀行へ奉職されて多くの基幹店舗の支店長を務められました。
銀行の人事との武勇伝は数え切れないほどです。
その後は、上場企業である家電メーカーの副社長など歴任され、その子会社の社長を最期にリタイヤされました。
多くの「節目」がありました。

リタイヤされた後は、後進の指導的な立場で経済界に関わられていましたが、そのような活動も70歳のときに、ご自身の意思でストップされて、所謂「悠々自適の毎日」に突入したそうです。
今思うと、その時が「一番辛い」日々だったそうでう。
1年・3年程度のサイクルでやってくるであろう「節目」が見当たらない。
それどころか毎日の「節目」が見当たらない。
朝起きて、今日は何処に行こう?今日は何をしよう?
6ヶ月程度で、そのような「一番辛い」日々を自ら克服され、今を迎えているそうです。
どのようにして克服できたのか、残念ながら若輩者の私の知力や感性では理解しきれませんでした。
これからお会いする度に、その究明を続けたいと思います。
20年以上前に「終の棲家」としてご購入されたご自宅を、今年買い換えられた驚愕のパワーをお持ちです。
新しい住環境を楽しんでいらっしゃるお姿は、驚愕の極みです。

NHKの朝の連ドラ「梅ちゃん先生」が終わり、新しい連ドラが始まりました。
「カーネーション」が終わって寂しく感じた「節目」も昔々のことになりつつあります。
独立してから連ドラが私の「節目」のひとつになっていたかもしれません。

定年前後。50歳前後。
「節目」を自ら造ることが出来るか、「節目」が無くなることを乗り越える自らの秘訣を造れるか。
人生やキャリアのストレッチ。
「元気に一歩」を踏み出すために、自分なりに質の良い「節目」を造りたいと思います。



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