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水島博巳 社会保険労務士・行政書士事務所の所長ブログです。
2012-05-24 (木) | 編集 |
多くの方は、子供の頃「人生ゲーム」や「モノポリー」などのボードゲームに熱中した経験をお持ちだと思います。

「人生ゲーム」
ルーレットを回し、出た数で自動車に見立てた駒を進めます。
結婚や出産で自動車にブルーやピンクの同乗者を増やします。
怪我や病気などの落とし穴に駒が止まると「一回休み」やら「費用請求」があったり、子供の進学やマイホームの新築で散財したり、反対に昇進やボーナス、はたまた遺産を受け取ったりして、駒を進めることで、手持ちのゲーム用の紙幣を増やしたり減らしたりします。
その都度、ボードに書いてあるコメントに一喜一憂しました。
そしてゲームの最後に「億万長者」か「貧乏農場」かの選択が待っていて、ゲームセットです。
ゲームセットを迎えても、また繰り返しゲームにチャレンジできます。

現実の「人生」でも毎日「駒」を進めています。
重篤な病になり、予期せずゲームセットを迎える人もいます。
生まれてきた家の財力やご両親の資質。
子供の頃からの本人の努力。
健康状態や生活態度。
生活や仕事で関わる様々な人との偶然な出会い。
選択した職業による浮き沈み。
就職した会社の経営状況。
子供の教育。親の介護。
挙げたら限が無い程に多様な要素により、人生の駒の進み方は変わります。
本当の「人生」のゲームセットはあの世に旅立つときでしょうか。
繰り返しゲームにチャレンジすることはできないのでしょうか。

生活保護の受給者が200万人を超えて、戦後の混乱期を含めて過去最多を更新し続けています。
生活保護は、憲法25条で生存権が保障されていることが根拠です。
本来なら働くことが出来る人まで生活保護に寄りかかっている現象も起きているそうです。
「派遣切り」や「雇い止め」による失業がきっかけで、勤労の意欲を無くして生活保護に安住している人も多いとの報道も見かけます。
悪いのは社会や政治のせいだけでしょうか。
生活保護は疾病等で勤労の意欲があっても出来ない方等が生活を維持するための制度です。
憲法27条は勤労の義務を国民に課しています。
「働かざる者食うべからず」
国会中継で「勤労の義務」を口にする議員さんを余り見かけないことに若干の違和感を覚えます。
数年前に政府が声高に提唱していた「再チャレンジ制度」も、今は影を潜めているように思います。
1度失敗しても再チャレンジできる社会。
ダイバーシティ。マイノリティ。多様性を認める社会。
社会の意識が多様性を認める方向にあっても、「駒」を進めるのは自分自身です。

サーフィンで鮫に左腕を食いちぎられても、また海に戻ってきた女性。
そのエネルギーは「海を愛しているから」という心にありました。
近々映画が公開されるそうです。
ある経験豊な弁護士さんの話を聞きました。
その先生は勤め人として上手く行かなかったので、敗者復活戦で司法試験にチャレンジしたそうです。
プロ野球のスター選手が奥様を病気で亡くされてから、農業に転向して、ご自身が育てた玉葱を美味しそうに食べている映像をテレビで見ました。
映画やテレビに取り上げられる程ではなくても、多くの人はご自身で意識しているかどうかは別として、素敵なストレッチをしながら毎日「駒」を進めていると思います。

キャリアのストレッチ。
「人生」のゲームセットはあの世に旅立つときだけとは限りません。
毎日床につくときが、ゲームセットかもしれません。
卒業のとき、定年のとき、失業のとき。
何かのピリオドがゲームセットかもしれません。
そこで「気づき」を持ちたいです。
ゲームセットの後には、新しいスタートがあります。
前のゲームでの体験を活かすも良し、心機一転「ニューチャレンジ」でも良し。
「駒」を自分の意思で進めたいものです。









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2012-05-06 (日) | 編集 |
昨日は子供の日でした。
ゴールデンウイークが過ぎ、いよいよ5月病本番の季節でしょうか。

団塊の世代の前後、今の50歳台以上の方々が小学生や中学生の頃、1学年のクラスの数は年々増え続けてきたことをご記憶でしょう。
1学年で5クラスや6クラスなんて当たり前。
2つの小学校から進学する中学校では、その倍のクラスになりました。
特に大都市集周辺部では、ニュータウンや大手企業の家族寮が次々と出来上がって、子供の数が爆発的に増えていったことも原因の1つでしょう。

1クラスの人数も50人程度はいたように思います。
今の30人学級に比べると、教室内人口密度の高さは相当なものでした。
親の職業も雑多。
サラリーマン、零細商店主、個人タクシーの運転手、落語家、事業家などなど。
私立中学進学が一般的ではなかった時代だったこともあり、親の職業での教育格差は目立たなかったように思います。

今のように副担任などの制度はなく、担任の先生が孤軍奮闘状態でした。
思えば戦中戦後の代用教員の居座りみたいな名物老先生などもいました。
自称「共産党員」の先生のサングラスに黒の丸首シャツスタイルは印象的でした。
雑多な教室環境でした。
遊びも空き地での「草野球」や「泥警」など。
高度成長。大人達はみんな忙しい毎日です。
学童保育ごとくリードする大人はいませんから、役割分担を自分たちで決めていました。高学年の子供が、遊び仲間全体の保護者や用心棒のように頼もしい存在でした。

その雑多でギュウギュウ詰めの教室環境でも、空き地で遊ぶときに見守る大人がいなくとも逞しく育っていました。喧嘩はあっても虐めはない。


15歳未満の子供の推計人口は、昭和57年以降減少し続けています。
総人口に占める割合は、団塊の世代が生まれた昭和25年には35%以上ありましたが、昨年は13%まで落ち込んだそうです。

一方で団塊の世代が65歳を過ぎる頃、高齢化率は極めて高くなることは、想像に難くないことです。
ひとりの若者が何人の高齢者を支えるのでしょうか。
世代間格差。
年金問題、医療費の問題、社会保障の問題。

医療費の抑制のために、在宅介護や在宅看護を支援する政策に舵が切られました。
はたして正しい舵取りでしょうか。
看護や介護する若手人材は不足しています。
一律の手厚いサービスは必要でしょうか。
ひとりひとりの高齢者に、24時間在宅でサービスを提供することは、まるでひとりひとりの小学生に家庭教師を24時間を雇うようなことと同じに思えて仕方ありません。
私たちが小学生の頃に、公費でひとりひとりに24時間体制の家庭教師を雇ったら、国家の財政はどうなるのでしょう。
まるこちゃんの友達「花輪君」のご家庭なら自費でできるでしょう。

少し前の日本経済新聞にコラムに記載されていました。
『生物学者・本川達雄さんの言葉が腑に落ちた。動物にとっては長生きより子孫を残すことが大切だと言い続く。「団塊の世代が社会の重荷にならず次世代を生かし育てられるよう、率先して利他の生き方をしていかないと」

かって雑多なギュウギュウ詰めの教室でも逞しく育った誇りを思い出して、手厚い年金や介護保険に頼らず生きて行く思いが必要ではないでしょうか。
多少不便でも、無理があっても、快適ではなくても介護する人や看護する人の手間をかけず、大規模の集団で介護や看護を受ける手段も考えて、年金問題、医療費の問題、社会保障の問題を解決する方法を考えるべきだと思います。
自費負担ができる人は、手厚いサービスも保険や年金に頼るべきではありません。

住み慣れた街を離れることは寂しいことですが、転勤族の子供として小学校を3回も4回も転校してことを思い出してみたら如何でしょうか。
老いても新しい出会いがあるかもしれません。